ご由緒

安田八幡宮社家に伝わる古文書 『安田町氏神様由来記』によればその創建は古く、平安中期一 条天皇の御宇、 長徳三年 (九九七)と記されている。 ただ、この古文書には御祭神や神社名の 記載はなく、単に「安田町氏神様」 とのみ記されている。

神社名の基で御祭神たる「八幡大神」については、同じく当神社所蔵の古文書 『当社略縁起』 中に

『康平四年秋頃、 源頼義が安倍貞任討伐のため奥州出兵のおり、軍旅の途中この地にも立ち寄り、戦勝祈願の神楽を奉納し、康平六年、めでたく凱旋したる帰途社殿造営を命じ、治暦元年八幡宮御勧請となった』

※康平四年=一〇六一年。治暦元年=一〇六五年

という旨の記述がある。

これは、『前九年の役』や『後三年の役』を経て、 源氏が東国へ勢力を拡大していく過程で、 各 地への八幡宮の勧請或いは合祀により 「八幡宮」 「八幡社」 「八幡神社」を祭っていった大きな 時代の流れの中で「八幡神」を祭るようになったものと推測できる。

江戸時代、延宝年間から貞享年間にかけて(一六七三~一六八七) 安田町に火災が相次ぎ、町並が度々焼失した。

この延宝年間の相次ぐ火災により、 安田町では地元特有の強い東南風 (ダシの風)を考慮に入 れた全く新しい町並の割り直しが計画され、 家並の設定はもとより、 そのところどころに火除け土手を設け、更に道路中央に川を通すなど十分な防火体制を取り入れた都市計画が策定さ れた。

この江戸時代の都市計画に合わせ、 安田八幡宮が現在地に移転・再建されたのは貞享二年(一六八五)である。

以後、今日まで数次の立て替えはあったが、 安田八幡宮は変わらず現在の場所から町を見守り続けている。

江戸時代、延宝年間から貞享年間にかけて(一六七三~一六八七) 安田町に火災が相次ぎ、町並が度々焼失した。

この延宝年間の相次ぐ火災により、 安田町では地元特有の強い東南風 (ダシの風)を考慮に入 れた全く新しい町並の割り直しが計画され、 家並の設定はもとより、 そのところどころに火除け土手を設け、更に道路中央に川を通すなど十分な防火体制を取り入れた都市計画が策定さ れた。

この江戸時代の都市計画に合わせ、 安田八幡宮が現在地に移転・再建されたのは貞享二年(一六八五)である。

以後、今日まで数次の立て替えはあったが、 安田八幡宮は変わらず現在の場所から町を見守り続けている。

安田八幡宮
〒959-2221
新潟県阿賀野市保田504
TEL:0250-68-2151
FAX:0250-68-1096

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